「美」のはなし

なぜ私は音楽を聴くのだろうか。
音が始まって数分間ガチャガチャ鳴り続け、
やがてサッと引いていき、
真っ黒な無音が数秒あったあとで、
またトチ狂ったような轟音がはじまって、
そう考えたら、
なぜこんなに、
私は取り憑かれたように音楽を聴いているのだろう。



「美」というのは、本来、畏怖を抱くものであるはずだ。
決して、断じて、苦労や劣等感の消費にも、
話題のネタにも消費されない、崇高なものであったはずだ。
しかし、私の生きる現在には、
もはや「美」をそれのまま揺蕩わせることも許されず、
苦労や劣等感、話題のネタとして消費され、
ただのモノの一部に成り下がる。
つまりは「美」を嘲け笑うこと、
使えるか否かの判断に上らせること、
その行為に一切の躊躇いや戸惑いを人間に抱かせない、
それほどの可愛げのない呼吸の気配もない時代を生きている。
もはや、生きているのかすら実感を得ないまま日々が過ぎる。



青々と茂る雑草をぷちぷちと引き抜き、
まったく可愛げのある音を立てて毛細血管が切れていくような、
「される」ことのないがために、
「する」ことの罪悪は圧を高め、
毎秒毎秒死んでいく、殺されていくような、
心地も血の気を引く生の実感のなさが、
日に日に成長されていくのならば、
生きる現在は救いがない。
「美」もなければ優しさもない。



苦労や劣等感、
話題のネタに容易く利用されるようなものを、
「美」と形容してはならない。
断固として拒否しなければならない。
しかし、
その程度の意志を抱くことさえ困難になってしまった。


誰か、私を叱ってほしい。

書き起こし「酔えること」

疲れたが、
明日もあるし、
いや明日は何の予定もないが、
でも、予定に組み込まれないものも「予定」のうちのもので、
起床から就寝までの連続した「予定」が、
いつまで続くとなると、生きているうちか、
でも救いがあると思えるのは、
お酒を飲むと酔えるわけで、
酔えるとなると忘却に依りかかれるわけで、
忘却に依りかかることによって何かの意味や価値が軽くなり、
その代わり、相対的に、水面に浮上してくる心もあるわけで、
さらには「予定」が「予定」でなくなる、
事象が「予期したもの」でなくなる、
ただそこにあるもの、流れゆくものとして認識し、
(すべての時間は私自身の認識によって作られるものであるから、)
嘘らしくて奇跡的な時間のなかに身を置ける。


お酒に酔えるというのはよいことだと思える、
その心境を書き起こしてみたかった、
というかあらゆる心境を書き起こせるものなら、
いつでもそうしていたいけどな。

 

 

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美味しいビールを飲んだ夜

はじめてひとり飲みというものをした。
新宿西口の思い出横丁。
なぜよりによって、人生初のひとり飲みを、
そんなディープな場所に選べたのか、
自分の意外な胆力に驚く。

 

いや、でもたしか、
そう、あの日は日曜日で、
誰も飲む雰囲気でない街の表情で、
その中で私はボロボロの身なりをしているような気になって、
頭もとうとう薬では手の施しようもない気にもなり、
つまり、もうダメだ、とフラフラになっているなかで思い立ったのだ。

カウンターのこじんまりとした店に入り、
生ビールと串焼き盛り合わせを注文した。
最初は慣れない環境にアワアワとビビっていたのだが、
しだいに、自分の居たいように居ればいい、と思えてきた。

運ばれた生ビールを口に流し入れると、
これまでに感じたことのない、喉への冷えた刺激があり、
「もしや、これがのどごし!?」と、テンションが上がる。
体質的に酔いやすいアルコール類がビールで、
手っ取り早くフラッとしたいときには飲むが、
「美味しい」と思って選ぶことはそれほど多くなく、
「苦いが飲める」ほどの認識だった。
けれど、その生ビールは、挙動不審になってしまうほどの美味しさだった。
そのお店の入れ方も上手なのかもしれない。
でも、それ以上に、
「働いたあとの」「暑い日の」ビールは美味い、の法則に則ったのだろう。
働いていないけれど。毎日が日曜日だけれど。

今すぐにでもぜんぶ辞めてやろうかくらいの威勢のよさが、
生ビールジョッキ1杯、それと串焼きで、
すっかり元気さと入れ替わり、
生きるのに惚れ惚れするような気になって、思い出横丁をあとにしたのだ。


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もったいぶらずに、
ビールなり、サワーなり、カクテルなり、
飲みたい時に飲んでしまえばいい。
それで戻せるものがあるなら、いいかな。

 

おはようございます。