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夏のアイコン

真夏に鳴く蝉さえも、木陰に入り暑を凌ぐありさま。

うるさいけれど暑苦しくない、
絶妙なミンミンの音を聞いたのは、昨日が初めてのことだ。
どこからか、みいんみいん……と、たよりなくか細い音で、
1匹の蝉の鳴き声が、窓越しに聞こえてきた。
しかし、やがてぱたり、と止んでしまった。
鳴くことすらイヤになってしまったのか、疲れきってしまったのか、
それからミンミンと声を聞くことはなかった。


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私の地区の夏の風物詩は、特異なものになるのだろうか。
蝉の声に期待ができないので、
ややもすれば、ベランダから見える距離の小学校から聞こえてくる、
ホイッスルの音、プールの授業での号令の甲高い音が、
新たな風物詩になることだって、きっとあるだろう。

プールの授業のおわりには、
児童全員でぐるぐるとプールの水をかき回し、
「お手製動くプール」をやったのだが、
いまでもしていてほしいな。キャッキャと跳ねていながら。

帰らぬままの散文

午前3時を過ぎた。

私は、急激な衝動に曝されて、
目覚めたくもない方法で、
目覚めたくもない時間帯に、
睡眠状態から引き戻されてしまった。現実に。

頭のギアが入らない。
いや、操業には時間が早すぎるから、
それはよいことではあるんだけれども、
それにしても、脳がまだ暖まっていない実感をもっている。

書くにはふさわしくない条件がそろっているが、
どこかに残したくなったいくつかのことを、
できるだけ書こうと思う。

 

 

部屋を綺麗にした。
引き出しの中のノート類の整理から、
床に散らばったゴミのようなモノの処分まで、
ついでに本棚の総入れ替えまで、
気付いたことを片っ端から実行してみた。
その時間、なんと9時間。
暇でないとこんな時間の使い方はできまい。

掃除機で綿埃を吸い取り、
雑巾で床を磨き、
すべて終えたあとで部屋を見渡すと、
私の部屋には床があったことに、真面目に驚いた。
「そうか……忘れていたけど、床ってあるんだ……」
ちょっと意味が分からない台詞だけれど、ニュアンスだけでも伝われば。

撤去された家屋のあとに新築が建つと、
昔の家のことを思い出せないのと同じで、
綺麗になる前の、ゴミ屋敷のような様相の部屋がどんなものだったか、
まったく思い出せない。
たった9時間の時を引き戻せばすむものだが、
「近くにいろんなモノがありました」程度の、
誰でも言えてしまう一般論レベルに引き下げても、なお記憶が遠い。

でも、たしかに近くにいろんなモノがあって、
ちゃんと位置関係を認識すれば、それはそれで便利でもあった。
リモコンはあそこで、あの本はそこで、充電器はここにある。
と、動かなくても、ただそこにあったら、わりかし不自由ではない。
でも、それだと、
そうでなくてよいものも、ぜんぶそこらへんに置いてしまう。
鉛筆入れやノート、読み終えた本、カメラのフィルム。
それらはどこかに保管なり整理するものであって、
そこらへんに置いていいような、日常的なジャンルには入らない。
しかしでも、ついついポンポン置いてしまうのは、
「他もそうしてるから」
を言い訳にしているところなんだろうな、と振り返って思った。
そりゃあ、そんな精神で部屋にいたら、
精神衛生的にはよくないというのがよくわかる。

そこまで言い切ったなら、今度こそ部屋の清潔をキープしろよ!
って感じだ。

 

 

アナイス・ニンという作家の、
空想的な作品、『近親相姦の家』を
図書館で借りて、読んでいる。
この本、かなりおすすめなので、
時間と心の余裕のある人はぜひとも手に取ってほしい。
ただ、本当に時間と心に余裕がある人だけだ。
とても難解な内容だからだ。

新書や専門書、そして学術書を読むと、
その言葉遣いの横文字度合いや立体的な文章の連続に、
頭が汗をかく。
『近親相姦の家』がこれらと同じ文章だというわけではないが、
しかし、読んでみると共感するだろう、
その佇まいからして、とても頭を使う。
文章としては平易な言葉遣いであるのだが、
いや、それ以前の、
言わんとしていることへの自信の強さ、意思の強さ、
その厳然とした、誇り高い姿に、
少しだけめまいがする。圧倒される。
論理では解き明かせないような言葉の数々があって、
しかし思考回路とは別の回路を働かせる、までもなく、
自ずと感覚的な分野が驚き、喜びだす。
その驚きと喜びが、同じくらいの熱量で恐怖を呼び寄せる。

『近親相姦の家』の書き出し部分に、
以下の文章が記されている。

朝起きてこの本を書きはじめようとしたときわたしは咳をした。なにかが喉から飛び出した。わたしは絡みついていた糸を切って引っ張りだした。ベッドに戻ってわたしは言った……心臓を吐き出したのだわ。 


それは、読み手であっても同じかもしれない。

すべて読める自信がないが、
文章量はとても少ないので(文章量に比例しない内容だが)、
時間をかけて読み切りたい。

 

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インターネットの空間に、ぽつぽつと言葉を吐き出す。
それは、私の心情や考えを吐き出したことになるが、
それら言葉の、
「よし、外に出してしまっていいや!」
と判断された言葉の、
その大多数は、おそらく、本来、
私がひどく大切にしなければならない貴重な言葉なのだろう。
不特定多数に見てもらう、知ってもらうためにある言葉ではなく、
目の前にいるたったひとりに対して伝えるような、
もっと丁寧にもっているべき言葉なのだろう。

 

 

急激な衝動、
目覚めたくもない方法で、
午前3時前に起きてしまった。
こうして文章を書いているうちに、午前4時を過ぎてしまうだろう。

起点は、激しいリビドーでの起床だった。
むしろ夢だと思いたかった。
深夜のちょうど最も肥えた時間帯に、
リビドーに苛まれて、身体中を震わせながら目が覚めた。
しかし目を開くや否や、血流に高い濃度で入り込んだその衝動は、
気化されたように、おとなしく、いや、完全に消えてしまった。

悍ましいものだった。
カルピスを原液で飲むようなものだった。

リビドーは、ふだん、大量に薄められているのだと知った。
その、薄めるものの多くは愛情なのだろうが、
また、私に限るのか普遍性があるのか知り得ないが、
薄められていないリビドーは、心を抉り尽していくことを痛感した。

 

このまま眠れる気がしないが、
布団に入れば、少しくらいはいけるかもしれない。

じめじめに口語体

少しだけ心が折れました。
なにがあったわけでもないのですが、
こう、遠くへ行ってしまいたい気にもなりません。
面倒だ、という余計な気持ちが私のなかにかなりあって、
動いたらそれはそれで楽しくなろうに、という選択肢を、
自ずと消極的に、「めんど」のひところで消してしまう。
そういう気分が強いのです。

 

まあ、上がれば下がり、下がれば上がるものでしょうし、
そういうときもあるのはもちろんですが、
慣れないなあと、揺れますよね。

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そうそう。
フィルムカメラの修理をしていただいたお店から引き取って、
フィルムを装填し、さっそく撮りはじめました。
だから、どこかに行きたいよなあ。
行きませんかね?

はい。今回は口語体でこんな感じです。

診察待ちのメモ

いくら晴れていようと、
梅雨時は梅雨時なことはかわりないので、
やはり皆、
どこかで滞留する心地を抱いているのだろう。

今日の病院の診察待ちは、
気が立った口調に、
気が立ったクレームを
受付の人にぶちまける人が多かった。

普段は、そのような人もおらず
待ち時間の長さから殺伐としながらも、
比較的穏やかな空間なんだけれど、
たぶん、気候もかかわってくるのだろうな。

今は晴れているものの。



今日は、
ぶかぶかに感じて
長らく敬遠していた靴を履いてみた。
拍子抜けするほどに足にぴたっとあっていた。
あれ?

歩くときも、
階段を上るときも、
立っているだけでも、
足から外れる心配ばかりしていた靴が、
今はどうしてかフィットしている。

靴紐をしっかり結んだだけで、
様変わりするものか。
よかったよかった。



いちごミルク味のキャンディに弱い。
弱いことを知っているから、
進んで買うことはない。
でも、避けているわけではないため、
あるとき友達からわけてもらったりする。

子どもみたいな包み紙を開いて、
透明ではない、乳白色の飴玉を口に含み、
舌で転がしながらじわっと味わう、
あのすべてが好きだ。

ミルク味のキャンディとは似て非なるものだ。
あっちは、ちゃんと濃厚な味わいをしている。
私がほしいのは、
ややうすめたような風味の、
いちごもミルクも近しくはない、
ただ遠くもない絶妙な味わいのアレなのだ。
屈折していてめんどうくさいが、
飴が舐めたいわけではないんだ。

「いちごミルク」なんだけど、
少し、水がはじくような甘みがあって、
それが、とても夏に似合うと思った。



そうなんだ。
呼ばれないんだよ。
診察待ちも、3時間。

夕景

もし私の記憶がリセットされた状態で、
4人の成人が横並びで目の前に立ち、
「誰が貴方の両親でしょうか」
などと選ばされたとしたら。

私は、嗅覚のみで、ちゃんと正しく選べるだろうか。
という、寝惚けたことを考えながら目覚めた。

 

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人間関係で、
のちにハッと気付くとき、
いつも夕景が浮かぶ。

燃えるような茜色の空が脳裏に浮かび、
広大な焼けた空を眼前に、
「ああ、そうだったのか……」
と、途方にくれるイメージが挿入される。

たとえば、好意に思ってくれていると認識していた人が、
実は正反対でした、なんてことや、その逆も然り。
不発だとしょげていた人が、実は……のパターン。
数年前に年長者から言われたひとことが、
今になって理解できたことも。
そのすべてに、鮮やかな夕景が浮かんで、
真ん中に立って途方にくれている。

 

もう何年もこの経験があるのだが、
いや綺麗な景色なんだけれど、
なぜこの景色なのかはさっぱり。

ソール・ライター展

とにかく圧倒された。

曲線的なラインには、
一般的に直線より柔らかく、暖かく、優しいイメージがつくが、
彼の写真は必ずしも同様にいえるわけではなかった。
いっぽう、
影の強さと直線の多用によって、
人工的な冷たさが際立つように想像できるが、
それもまた、必ずしも冷たさが先行しない。

 
ソール・ライターの写真から、
生々しい人間の姿を感じ取りながら、
また自分自身に跳ね返り問いたくなる。
「生々しい人間の姿は、どんな姿?」

 

影と直線、また曲線が生む景色。
抒情的であって、割り切れない生々しさ。
丸みも緊張の角ばりも、
影も鮮やかな傘の赤色も、
すべてに人間の生活があって、
その、臭いが漂ってくるようだった。

 

 

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駆け込みで行ってよかった。

緑の並木

自分の思うより、私は体力がないことを知った。
就労移行施設での体験で、電卓での計算を1時間半こなしたあと、
ふいに、疲労とめまいに襲われてしまった。
ええ……こんな作業だけで……?


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緑いっぱいの中野通りを、赤い車体の関東バスが走り抜ける。
たった数か月前までは、車内に浸食していくかのように、
一面に桜が広がっていたのになあ。

30℃の気温と繋がって、頭のなかで再生される映像は、
しゃりしゃりのかき氷と甘いシロップ、
青いホースから放たれる玉のような水道水。

バスを降りると、
梅雨の合間にも加減があんだろうよと悪態付きたくなる陽気。
外気には熱が絡み、
日差しは焼くように照っている。
じりじりと迫る太陽から逃れるように、日かげをさがす。
並木道の地面に写される木漏れ日の、染みのような影がたよりない。
弱々しい風のなかに熱が増していく。

6月も下旬になっていた。
スマホのホーム画面を頻繁に見ているくせに、
いまさら、「6月20日」の表示にぎょっとした。
海開きの予定日が、夜のニュースで流れるようになった。
いよいよ夏に入る。のだ。

あした、ソール・ライター展、行きたいな。
雨が強く降るらしい。