苦痛を生きる理由は

10年ほど前のある時期のこと。ひとりでは到底抱えきれないほどの苦痛を、しかし、抱えなくてはならない状況下に置かれた時があった。そこで、私が、生きながら苦痛を背負うために取った方法は、内面を、物事を、とことん思考し分析することだった。そして、知らないことを知り、不明瞭なものを明瞭に、不穏なものを明快にするのだ。


無意識のうちに選び取ったその自衛策は、なぜ機能したのか、私は考え、現時点のある答えを見出した。それは、自身の背負う苦痛そのものに目を向けさせないために、私に思考と分析の癖を与えたのだ。ある物事を考えさせないために、他の物事をひたすらに考えさせたのだ。


私は、小さな諦念と、大きな感動を覚えた。この自衛策によって、私の抱えている苦痛を知ることは、おそらく出来ないだろう。しかし、その無意識の選択で、私は今日まで生き抜くことが出来たのだ。私は、小さな諦念と引き換えに、自身に在る積極性を知ったのだ。

私は、本来から生きたい、という欲求がある。生命力に溢れている、その潜在能力がある。私が受けた大きな感動は、このようなものだった。


睡眠薬運ぶ水辺へと

荒れた気分が続いてしまった。

暴れる感情を鎮めようにも、
居ても立っても居られなくて、
じっとしていられなくて、
でもやみくもに動き回ったところで、
何も生じなくて、
強いて言うならば「無」が生まれるそれだけで、

だめだ、あやふやなものを書くことすら腹が立つ。

 

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とろとろと、身体がふやけていく。
睡眠薬を服用したのは10分ほど前のこと。
そこで布団に入り、目をつむったところで、
強烈な感情が沸き上がってきた。
悲しさなのか、怒りなのか、不安なのか、またはリビドーなのか、
もしくは、そのごった煮のものなのか、
これら一切の分析を排したい、尊くて卑しい感情が暴れ出して、
部屋の明かりをつけた。
暗闇が怖くもあった。
私の手持ちの感情リストには載っていない、
外来種の、手に負えない悍ましい感情が、
真っ暗な中では自由に跋扈していって、
自室を満たしていきながら、頭のなかを食い尽くすにいたる、
それが怖くて、明かりをつけてパソコンを立ち上げ、
アッパーな音楽を耳に入れて、
それなりの20時前らしい振る舞いをしている。

 

あやふやな、理解ができないものに腹が立つのは、
ただ一点、恐怖が横たわるからだ。

 

睡眠薬の効力によって身体中が揺らいでいく。
思考もふやけていく。つつがなく溶けていく。
朝目覚めている頃にはすべて消え失せていることを知っているため、
それが今は異様に腹立たしい。
私に対する虐待のためにすべて書き尽くしてやりたい。

孤独と感謝と勝利

孤独をより意識させることは共感だろう。しかし孤独それ自体のもつ悲観は、イメージよりもずっと少なくて、思いの外心優しく柔らかくそして温かな拠り所であると信じている。

孤独は他者によって感ずるものであって、どれほど仲の良い、親愛に満ちた存在が身の周りにあろうとも、それでも他者であることに変わりなく、つまり、誰であろうと決して私ではない認識を強めるわけで、それがそのまま「孤独を知る」ということなのだろう。誰も私ではないから、でも、相手を知りたいと希求するのは、私の知らない領域を知りたい欲求と、「私の孤独」をちゃんと知り続けたい、もちつづけたいからだと、薄々にも感じている。

すべて私のためだけれど、その良き影響が相手にも与えるならば、これほど喜ばしいことはなく、だから共感というのは善だ。孤独だからこそ、私と相手を喜ばせるのだ。善すぎる。あと、すべて知ることはできないくせに、知りたい欲求はいっちょまえに元気なことが、人間らしさを感じて少しだけ可愛らしいと思う。


累計のアクセス数が、1,000を達成した。いつも誰かが読んでくれていることに、感謝の念が溢れてくる。そして、例によって伝えきれない。例によって、溢れたまま、言葉に転化できない。このタイミングでも、言葉もまた、手段でもあり、私の外部にあるものだ、と強く感じさせる。


ありがとう。
これからもよろしく。




それから、きょうのプロ野球のニュースは、広島の優勝で持ちきりだろうが、それが喜ばしいこととともに、もうひと試合、飛び抜けたスコアで、しかし僅差で勝ったチームがあるので、余裕があれば、どうかそのチームにも、ありったけの賛辞の言葉を送ってほしい。一ファンからの願望です。